パレ・ロワイヤル

パレ・ロワイヤル

パレ・ロワイヤルとは

パレ・ロワイヤル
出典:Wikimedia Commons

パリ1区、ルーブル宮(現在は、ルーブル美術館)の向かい側にある建造物とその庭園。フランス革命前や革命期には、庭園を囲むようにコの字を描くように、カフェや装飾品店、書店などの商店が軒を連ねていて、新しい情報や文化、思想の発信地となるような繁華街であった。

パレ・ロワイヤルの歴史

パレ・ロワイヤルは、ルイ13世の時代の宰相リシュリューの城として使われていたが、彼の死後にルイ13世に寄贈された。ルイ13世の死後に、当時まだ5歳だったルイ14世がここに住んだことが「パレ・ロワイヤル(王宮)」という名称の由来である。

その後、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿に移り住んだたため、パレ・ロワイヤルは、ルイ14世の弟であるオルレアン公フィリップの手に渡った。その後、息子であるオルレアン公フィリップ2世が住むようになったが、彼は多額の借金を返済するために、パレ・ロワイヤルの庭園の周辺に商店のための建物を創り、これをテナントとして、商人たちに貸し、家賃収入を借金返済に充てた。

パレ・ロワイヤルの敷地内には、警察の出入りができなかったため、革命家や思想家たちが政治談義をするにはうってつけの場所となった。

フランス革命におけるパレ・ロワイヤル

パレ・ロワイヤルで演説するカミーユ・デムーラン
出典:Wikimedia Commons

パレ・ロワイヤルは、フランス革命の火蓋を切って落としたと言われる、1789年7月14日のバスチーユ襲撃の出発点の一つにもなった。

1789年7月12日に、庶民から絶大の人気を得ていた財務長官ネッケルが罷免されたというニュースがヴェルサイユからパリに入って来た際、パレ・ロワイヤルに集まっていた庶民たちはその話題でもちきりになり、すぐさま「軍がパリを制圧しようとしているのではないか」などといった噂に発展し、混乱状態になった。

この時、パレ・ロワイヤルにいた、弁護士でありジャーナリストのカミーユ・デムーランは、「市民諸君!武器を取れ!」と人々に呼びかけ、群衆が一致団結した。このようにして団結した群衆が、7月14日にバスチーユ襲撃をしたのだ。