ジャック・ネッケル
ジャック・ネッケル(1732年9月30日 – 1804年4月9日)は、フランス革命直前に活動した銀行家であり政治家。生まれはスイスのジュネーブだが、少年時代からパリに住むようになり、銀行家として成功したブルジョワである。第三身分出身の政治家ということで、庶民から絶大な人気があった。
最初の財務総監への任命と罷免
1777年、国家財政が危機的状にあり、ルイ16世によって財政長官(ネッケルは外国人だったため、総監にはなれなかったが、実質的には総監の役割を担った)に任命された。財界だけでなく、社交界でも花形であったネッケルは、就任早々に俸給を辞退し、この出来事が庶民の人気を集めた。
しかし、マリー・アントワネットをはじめ、貴族に倹約を迫ったため、王妃と保守派の貴族たちには疎まれた。また、就任中に改革的な政策を打ち出すこともできず、1781年に罷免された。
再び、財務総監に任命
ネッケルが罷免された後に、財務総監となったカロンヌ、ブリエンヌは、ともに特権階級への増税路線の制作を打ち出し、名士会、三部会を招集するなどしたが、これらの政策はいずれも失敗。ブリエンヌの後任として再びネッケルが財務長官に任命されることになった。
ネッケルは、第三身分とりわけブルジョワ層に人気が高く、任命されたニュースがパリに届いた際には、パレロワイヤルにパリ市民が1万人以上集まって拍手喝采となったという。
財政改革が成功せず罷免
ネッケルは、財政総監への就任の条件として、ブリエンヌがセッティングしていた全国三部会の開催を宮廷側に提示していた。全国三部会を開催し、世論を味方につけて、特権階級への課税を試みようとしたが、やはり保守派の貴族をはじめとした特権階級からの抵抗に阻まれ、改革派成功しなかった。
そして、1789年7月11日にネッケルはルイ16世によって罷免された。ネッケルの後任には、マリー・アントワネットと親しかったブルトゥイユ男爵が任命されたことから、パリ市民の間では、国会(憲法制定国民議会)が解散され、軍によってパリが制圧されるのではないかという不安が広がり、人々はパニック状態に陥った。この不安が要因となってパリ市民は軍に立ち向かうために集結し、バスチーユを陥落させたのだ。