球戯場の誓い

球戯場の誓い

球戯場の誓いとは

球戯場の誓い
出典:Wikimedia Commons

球戯場の誓いとは、1789年6月20日に、第三身分が当時廷臣たちが娯楽室として使っていた球戯場(テニスコート)に集い、「憲法制定まで国民議会を解散しない」ことを誓ったもの。

1789年に開催された三部会では、その採決方法について、第三身分と特権階級が対立。第三身分は、自分たちこそが国民の代表であるという自負から、「国民議会」と称して分離。第一身分と第二身分にも合流を呼びかけ、実際に合流する者たちが出始めていた。この事態を受けてルイ16世は、国民議会が会合を開いていた議場(ムニュ・プレズィール館)を閉鎖したのだ。

そこで、国民議会は、球戯場に場所を移し、パリ選出の議員バイイを中心に球戯場の誓いを立てた。

誓いの内容とは

国民議会が球戯場に場所を移したのは、ムーニエの提案によるものであった。球戯場では、パリ選出のバイイが中心となり、下記内容の誓いを打ち立てた。

王国の憲法が制定され、強固な基盤の上に確立されるまでは、決して解散せず、四方の状況に応じていかなる場所でも会議を開く

要するに、憲法を制定するまでは、憲法制定国民議会は解散しないぞ!ということを誓いあったということである。

この誓いを立てた時点では、国民議会の面々は国王に対して反感を持っている者はおらず、バイイが誓いの言葉を朗読したあとには「国王万歳!」と議員たちが叫んだと言われている。

球戯場の誓いの場にいた人物

ダヴィッドが描いた「球戯場の誓い」の絵には、国民議会議長であったバイイを中心に、「第三身分とは何か」の著者のシエイエス、革命のライオンと呼ばれフランス革命初期に議会の中心人物となるミラボー、革命初期は民衆派だったがヴァレンヌ逃亡事件以降は宮廷寄りとなり逮捕されるパルナーヴ、フランス革命の恐怖政治期に最高指導者となるロベスピエール、恐怖政治期に多くの人の処刑に使われたギロチンの考案者であるギヨタン、革命を支持した聖職者のグレゴワール神父などが描かれている。