封建制度の廃止

封建制度の廃止

レピュブリック広場の8月4日の「封建制度の廃止」の採択を描いたレリーフ
出典:Wikimedia Commons

フランスにおける封建制度の廃止とは、1789年8月4日に国会で採択された宣言であり、これまで貴族が独占してきた様々な特権を廃止するというもの。具体的には、狩猟権、賦役、領主裁判権などがそれにあたる。しかし、農民が領主に収める年貢については有償廃止となっており、大半の農民はそれまで通り年貢を領主に収めなくてはいけなかった。とはいえ、身分的自由と平等の方向性を示したという意味では、画期的なものであった。

封建制度の廃止を宣言した背景

1789年7月14日にバスチーユが襲撃されたことをきっかけに、フランス全土では農民による蜂起「大恐怖」が広がりを見せていた。農民が領主の館に押しかけて年貢台帳を焼き払ったり、領主を監禁し、年貢の不払いを訴えるなどの行為に及んだのだが、これは議会の中心勢力であったブルジョア層にとっては都合が悪いことであった。

ブルジョア層の多くは地主や資産家であったため、農民が領主の土地の所有権や財産権を侵すことを容認すると、自分たちが所有する財産にも危険が及ぶと恐れたのだ。そこで、一刻も早く大恐怖を沈めなければいけないということになり、1789年8月4日夜に議会が開かれ対応方法について激論が交わされることになった。

当初、軍によって農民を鎮圧する方法が検討されたが、国王の軍が農民の鎮圧に動き始めたら、議会も制圧される可能性があった。また、貴族領主によって搾取される農民を養護する意見が多数となり、「封建制度の廃止」を宣言しようということになったのだ。

封建制度の廃止の採択

8月4日の夜から開かれた議会での議論は6時間にもおよび、深夜2時に終了した。まず最初にノアイユ子爵が封建制度は廃止されるべきだと登壇をした。それに対してフランス最大の土地所有者であるエギヨン侯爵が支持する意見を述べたのだ。貴族たち自らが特権を廃止しようと呼びかけることによって、自己犠牲や友愛の雰囲気が議場に蔓延し始め、感動と熱狂の中で「封建制度の廃止」は採択・宣言された。

「封建制度の廃止」の宣言によって、貴族の賦役、裁判権などの特権は廃止された。しかし、農民が領主に収める年貢に関しては、20年~25年分の年貢相当額を払わなければ廃止にならず、大半の農民はこれを支払うことができなかったため、実際に年貢から解放された農民はごく少数であった。また、教会の10分の1税の廃止については、聖職者が生活できなくなるだろうということで、一度は提案されたものの、宣言から除外された。